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刀剣ブログ

津田遠江長光・明智光秀から与えられた信長の愛刀

津田遠江長光

津田遠江長光(つだとおとうみながみつ)

  • 指定:国宝
  • 銘:長光(名物 津田遠江長光)
  • 所蔵:徳川美術館
  • 種別:太刀
  • 流派:長船派

津田遠江長光

太刀 銘 長光 (名物 津田遠江長光)出典:尾張徳川家名刀展

津田遠江長光

出典:徳川美術館所蔵 刀剣・刀装具

蝋色塗刀拵

蝋色塗刀拵

号の由来は津田遠江守重久の所持に因む

本太刀は享保名物帳所載の名物「津田遠江長光」です。所持者の津田遠江守重久の姓津田又は受領名の遠江に因みます。 名物帳に「信長公之御物也。天正十年六月二日於京都本能寺御生害、明智日向守安土に預御物共押領して家老三人之内右刀津田遠江へ遣す。遠江事秀吉公命を御赦免被成候て秀次公八被付置。御生害已後牢人と成り利長卿へ来り」と記され、この太刀はもと信長の佩刀でしたが、その後、天正十年(1582年)六月、本能寺で生害の際、明智光秀は信長の本城の安土城にあった宝物を奪いましたがこれもその一つで、それを家老三人のうち津田重久に与えたもので、重久は光秀の家臣でしたが山崎の戦いで秀吉に敗れた後、高野山へ逃れましたが、翌年に赦されて秀吉に仕え、ついで秀次に転仕。秀次が自害の後、前田利長に抱えられました。
名物帳に「右刀遠江より利長卿へ上るとも又源右衛門より利常卿へ上るとも伝ふ。松姫君様御入輿之刻、乱光包参百枚御脇差差と一所に太刀添、宰相殿より綱吉公へ上る。其己後尾張殿へ拝領」と記されているように、その後、重久が仕えた前田家に渡り、宝永五年(1708年)に松姫(尾張藩第三代藩主 徳川綱誠の娘で徳川綱吉の養女)が前田吉徳(加賀藩第五代藩主 前田綱紀の三男)へ入輿し、返礼として前田家から将軍川綱吉に本太刀と一文字の太刀、乱光包を献上しました。その後、宝永六年(1709年)に尾張四代徳川吉通が尾張国初入国祝いとして、六代将軍徳川家宣から本太刀を拝領します。以後、尾張徳川家の御蔵となり、昭和16年に重要美術品認定、昭和28年に重要文化財指定、昭和29年に国宝に指定され、現在も尾張徳川家伝来の美術品・文献資料を保管する徳川黎明会が運営する徳川美術館に所蔵されています。

備前長船長光(びぜんおさふねながみつ)

備前長船長光は、長船派の祖である光忠の子で、長船派の二代目を継ぎ、父光忠の築いた長船派の礎を不動の物としました。同工の作刀時期は、鎌倉中期から末期に至る時代の過渡期である為に、長光の作風には大別すると二種類があります。一つは、身幅広めで猪首鋒の豪壮な体配に華やかな丁子を主調に互の目を交えたもの、もう一つは身幅が尋常な体配に、直刃調に小丁子を交えた穏やかな刃文を焼いたものです。

長船派についてはこちらをお読みください

長光は指定・認定品数が最も多い刀工

長光は、国宝六口、重要文化財二十八口、重要美術品四十口の計七十四口の国の指定・認定品があり、その数はすべての刀工の中でも最も多いです。
この太刀は、姿は鎬造り、庵棟、腰反り、猪首鋒、磨り上げのため反りは浅い。鍛えは小板目詰んで、淡い乱れ映り立つ。刃文は丁子乱れに蛙子丁子交じり、中ほどより上は大房丁子乱れ華やかで、匂い深く匂い足入り、刃中の働き見事である。帽子は浅く乱れ込み尖りごころに返る。茎は二寸五分くらい磨上げ、 先栗尻、鑢目筋違い、棟小肉、目釘孔四つ、銘は佩表の地に「長光」二字銘。鞘書は仁一ノ六十壱 遠江長光御刀 太刀銘有長弐尺三寸八分、折紙は本阿弥光忠折紙、 備前国長光 正真 長サ貮尺参寸八分少磨上之、代金子貮百枚、宝永五年子霜月三日 本阿(花押)、蝋色塗刀拵が附属する。

津田遠江長光の展示情報

津田遠江長光は2019年は徳川美術館で開催された「徳川将軍ゆかりの名刀」で国宝 太刀 銘 光忠や重文 短刀 名物不動正宗などとともに展示された。2020年は津田遠江長光は3月29日まで徳川美術館で展示されます。
全国の刀剣展示会情報はこちら

津田遠江長光押形(出典:図説刀剣名物帳

 

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