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町彫の祖・横谷宗珉

町彫の祖・横谷宗珉

横谷家初代の宗与は、後藤家七代顕乗の三男殷乗門で、京から江戸に移って幕府に仕えました。宗珉は、宗与の養子となりましたが、後藤家の因襲にとらわれた家彫には満足できず、時代の好尚にも影響されてか、禄を辞して野に下り、自由な世界で腕を振い大いに喝采を博しました。彼は奈良三作と呼ばれる中の利寿・安親らと同年代に活躍し、横谷派繁栄の礎を築きました。当時の画家・英一蝶と親交があり、図案・意匠に指導を受けたといわれます。一蝶は承応元年(一六五二)、大坂に生まれ、のち江戸に出て狩野安信に学び、町絵師の本領をあらわしました。元禄十一年、幕府の忌諱にふれて三宅島へ流罪となり、居ること一二年で、宝永六年(一七〇九)に許されて帰りました。その間、宗珉は彼の老母を檜物町の自宅に引きとって面倒を見たと『英一蝶伝』にしるされています。
宗珉の作風については、彼の創意である片切彫りを駆使して自由な題材に特色を見せています。片切彫りは、高肉彫りとちがって平面の素地に、水墨画に見る濃淡をあらわすべくこころみたもので、画面に洒脱な味わいを見せようとしたものといえます。宗珉の真価は、片切彫りよりも豪快な高彫り色絵に卓越した彫技を示しており、虎・獅子・獅子牡丹・一輪牡丹・眠布 袋などの同趣のものに多く傑作がのこっています。また彼の作品には、獅子や虎・馬などを、正面あるいは背面からとらえたものがあるが、これは従来見られなかった新しい試みであり、苦心のあとがうかがえます。
獅子牡丹図揃物や獅子牡丹図二所物は彼の傑作です。いずれも赤銅魚子地に高彫り色絵を施したもので、従来の後藤家に見られなかった斬新さがあります。獅子の姿態や顔容は後藤家の彫法を基準としながらも、この工特有のもので、世に横谷獅子と呼ばれて珍重されています。眠布袋図小柄は彼の作に多く、眠っている布袋の顔が福々しくあらわされ、顔と手は素銅、大きな袋は金色絵、衣は赤銅、払子やその柄・杖などは金・銀・四分一で象嵌しており、配色の妙と高彫りの肉置が見事です。一輪牡丹図小柄も彼が得意としたものです。

横谷宗与

宗与は宗寿の子で、兄に英精がおり、宗珉の養子として迎えられました。師風を受け継ぎ、片切彫りをよくし、高肉彫りにも腕を振ったが、新味が見られず、たがね運びも師の迫力にやや劣るようです。獅子牡丹図揃物は彼の代表作として知られるもので、小柄はないが、鐔・目貫・縁頭などを一揃えにしたもので、はなやかな金の高彫り色絵は、師の作風を彷彿させるものがあります。片切彫りの作品は比較的多くあって、いずれも四分一を素材にして製作しています。
横谷派は、奈良派とともに江戸における町彫の全盛を両分するものであり、横谷派には柳川・古川・大森・菊岡・石黒などの各派に分かれて、それぞれの作風を競い合いました。

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