横谷派初代 横谷宗珉
横谷宗珉(よこやそうみん)は江戸時代の金工師の一人です。当初は家彫の後藤家の下で下地師として違う名を名乗ってましたが、元禄初年の頃に独立し、宗珉の名を名乗るようになりました。片桐彫を得意とし、数いる町彫の宗家の祖となりました。
蝙蝠図三所物
蝙蝠図(こうもりず)三所物は、蝙蝠の蝠の訓(よみ)が幸福の福に通じることから縁起が良いとされ、江戸時代には大いに人気があったようです。
宗珉は赤銅魚子地では黒一色となり見栄えが悪くなることから蝙蝠を四分一地にし、笄の耳の部分は金、裏は金の削継(そぎつげ:一枚の地板に二種類の金属を割り継ぎし、色彩の違いを表すこと)としました。さらに、穂先は表裏にわたり銀の削継にし、映えるような造形に仕上げたものです。
小柄も裏に金の削継が施され、弓張月を大きく大胆に銀の平象嵌で表現されており、表の高彫と繋げて目を見張るものがあります。
仁王図二所物
仁王図二所物は、武州荏原群(ぶしゅうえはらぐん)南品川(現在の東京都)にある江戸三箇寺の一つといわれた「鳳凰山天妙国寺」に、運慶作の仁王尊が安置されており、その仁王尊を手本に制作されてと考えられています。
この仁王尊はもともと江戸城内の紅葉山山王宮の仁王尊でしたが、山王宮が上野の東叡山に遷座されたときに品川の鳳凰山天妙国寺に移されたとしています。
二所物の彫り口は見事な出来であり、小柄から額を外して棒小柄にした所にしたところに宗珉の非凡さがみられ、肉取りがよく、力強く堂々とした小柄です。
宗珉のほかに、菊岡光行(町彫の一人。菊岡派の祖であり、横谷式の技法を使用していました)も同じ図柄の二所物があり、宗珉の二所物を写したといわれていました。その後、発見された光行作の小柄の裏に「於武州品川鳳凰山麓彫造之」と銘がきられており、光行も宗珉と同じように天妙国寺の仁王尊を手本に制作されたと考えられています。
本二所物は重要文化財に指定され、特に目貫は「宗珉の仁王」の通称で名高く、模作が多く作られているほど名作です。
仁王
仁王(二王)は、寺の門の両脇に安置されている二体の金剛神のことをいいます。仏法を守護するために力士の姿で顕現され、口を結んでいる吽形を「密迹金剛(みっしゃくこんごう)」口を開いている阿形を「那羅延金剛(ならえんこんごう)」ともいわれています。では、仁王はどのようにして誕生したのでしょう。
その昔、国王があり二人の夫人がいました。第一夫人は千人の子を産み、子は皆出家して得道(仏道を修業し悟りを開くこと)しました。第二夫人は子を二人産み、兄は金剛力士となって第一夫人の子どもたちの成道の守護を、弟は梵天となり同じく子どもたちが成仏のとき法輪を転ずることを乞い、諸人を益することを請願しました。
本来はこの二人が仁王ですが、今日では兄の金剛力士が一人で仁王となっています。一人を二人にしたのは、伽藍(僧侶が集まり修行する清浄な場所)の門に准じて、応変自在の神力を示現するためだろう、と説かれています。
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