六代目 後藤栄乗正光
後藤栄乗(ごとうえいじょう)は、五代目後藤徳乗の嫡男で、変動の激しい時代に後藤の名流を保持しながら彫金と文芸、財務の分野に活躍しました。青年時代から父とともに豊臣家に出仕しましたが、豊臣家滅亡後に一時浪人となり、叔父の長乗の取りなしで徳川幕府二代将軍秀忠の命により、分銅大判改め役ならびに彫物役を任命され、父徳乗とともに宗家の再興をはかりました。
宇治川の戦陣(表)、巴勇戦(裏)の図鐔
宇治川の戦陣(うじがわのせんじん:表)、巴勇戦(ともえゆうせん:裏)の図鐔は、大振りで堂々としており、武者の彫り口が素晴らしい作品です。
表の宇治川の戦陣は、今日を守る要衝である宇治川で起きた合戦の中でも有名な合戦が義経と義仲の合戦であり、これは先陣争いがあったためとされています。
この合戦に、守りの義仲は宇治橋の橋桁を外して防御をはかり、攻めの義経は敵前渡河を強行しました。佐々木四郎高綱が先陣を果たし、梶原源太景季がわずかに遅れて続き、この二人を先頭に畠山重忠の率いる五百騎が怒涛のごとく押し渡り、戦況を一気に有利にしたのです。これにより木曽方は一挙に崩れ立ち、京都をさして敗走しました。裏の巴勇戦は、義仲が平氏討伐の兵を挙げ木曽を発つとき、二人の女性を携えていました。その一人が巴です。巴は義仲の最期まで影に添うように行動を共にしました。京都にあった義仲は義経軍の木曽攻めに敗走し、いよいよ京都撤退をやむなきに至りました。三条河原における合戦にも敗れ、遂に近江の粟津に向かって落ち延びることになりました。そこで先頭に立ったのが巴で、女性の域を超えた荒武者ぶりを発揮するのです。鐔には敗走する木曽軍と巴御前が御田八郎師重の兜を引きちぎったところを見事に彫り上げています。
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