奈良利寿
奈良利寿(ならとしなが)は、奈良本家四代目の利永(としなが)の門人とも、本家三代目の利治(としはる)の門人ともいわれております。現在でも詳細は定かではありませんが、利永の門人とする考え方が有力といわれています。古来より奈良三作といって安親(やすちか)・乗意(じょうい)とともに賞美されていますが、年齢的には利寿が最も先輩であり、格調ある刀法は第一等に評価されています。また利寿は、従来から同名ニ代説(二代目利寿が存在したのではないか)があり、その二代目が没した記録も残っています。
奈良三作
奈良派、奈良利寿(ならとしなが)、土屋安親(つちややすちか)・杉浦乗意(すぎうらじょうい)の三人の金工。
菊慈童図縁頭
菊慈童(きくじどう)図縁頭は、菊慈童の柔らかな表情が見事に彫られており、鏨使いはそれほど精巧ではないにしろ、味わい深い見事な彫り口をみせています。また、菊の花一つ一つの細かい表現が素晴らしいです。
利寿系 奈良利寿 菊慈童図縁頭
菊慈童
菊慈童は、中国の仙人で彭祖(ほうそ)ともいい、菊によって大変な長寿を保ち、しかも永く童形であったと知られています。周の穆王(ぼくおう)の時代の物語です。
慈童は穆王に寵愛されていました。あるとき、慈童は誤って帝の机の上を越えました。その罪により酈県(れきけん)という深山に流されました。この山には虎狼が充満しており、ここに入って生きて帰った者はいません。穆王は哀れに思い、普門品(ふもんぼん:法華経第二十五品、観世音菩薩普門品の略称)の二句を唱えなさい、と教え、慈童はその句を忘れまい、と菊の葉に書き止めます。すると、その菊の葉に谷の水が滴り落ち、その水が天の霊薬となったのです。慈童はそれを飲むと不老不死になり八百余年まで生きた、といわれています。
これは人間の不老長寿の願望に添う物語として名高く、古来より好画題です。
楊香図縁頭
楊香(ようこう)図縁頭は、虎の姿も人物の感じも利寿独自の手法であり極めて出来がよい作品になっています。また、本縁頭に限らず、利寿の縁頭には腰の低いものが多数あり、それにより拵につけたときに映りがよくみえるようになっています。
利寿系 奈良利寿 楊香図縁頭
楊香
楊香は、中国晋の時代、魯の国の楊豊の娘です。十四歳のある日、父と一緒に畑(ある書は山)に行き栗を刈っていました。するとそこに大きな虎が現れ父の袖を咥えて山の中へ引きずって行きました。香は父が虎に喰い殺されると危惧しましたが、小娘でもあり得物もなく虎を追い退けることができません。そこで、私の命を虎に与えますから父を助けて、と天に祈りました。また、別の本では虎に飛び掛かり首を押さえつけますが、非力であるため父娘共々喰い殺されてしまいます。それを天が哀れに思い虎を逃がし父娘が助かった、という記述もあります。
物語ですから部分的に記述の相違がありますが、娘が父を救うことができたのはひとえに至孝(最上の孝行)の志が天に通じ、天地神明が加護を垂れて奇特な態を表してたものとしています。
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