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刀装・小道具ブログ

打刀拵の種類

打刀拵について

打刀に使われる外装のことを指し、平安末期から鎌倉初期に生まれたことがわかります。柄には縁頭とともに丈夫な金具をつけ、中程には筒金をはめて堅牢にしてあります。鞘は黒塗りが多くありますが、刻み鞘や蛭巻したようなもののあります。鎌倉期と江戸期によって長さが変わり、鎌倉期のほうが長くなっています。柄に柄糸で巻かれているものがあることから、糸巻太刀と同じころに出現したのではと考えられています。
室町中期を過ぎた大永(一五二一)ころになると、足利将軍にも正式に打刀が用意され、拵についての規定もできていました。太刀拵のように帯取りがないため、帯に差せば固定できて便利であり、戦場においては槍を使うのに邪魔になりません。太刀よりも安価で経済的にも良いため、打刀の使用は太刀を圧倒するほどでした。天正(一五七三)頃になると位の高い武将が権威の象徴として太刀を佩くだけで、それ以外はすべて打刀を帯びるようになりました。江戸期になると、打刀拵の長短二刀を「大小」と称し、平常はもちろん礼式にも帯用するようになりました。また、各地方によって様々な拵が誕生し、今日に至っています。今回は打刀拵の種類について紹介していきます。

溜塗打刀(明智拵)

溜塗打刀(明智拵)室町時代

天正拵(てんしょうこしらえ)

天正拵は室町時代に生まれた打刀拵の完成された姿で室町末期から江戸初期まで武士たちに愛用され、各地方、時代によって多種多様に存在しています。特に、朱や金を使った豪華な桃山時代のものを「桃山拵」とよびます。室町末期の天正拵は、総体的に簡素にできており、肉置は締まって品格にあふれています。それにくらべ、桃山拵は格調において劣りますが、豪壮さが目立ちます。江戸前期には平常の差料の規格がなかったため、打刀は刃長約八〇センチ前後、脇差も約五十五センチ前後が好まれるようになりました。そのため各人が勝手気ままに自分好みの差料が増えていき、幕府は正保二年(一六四五)に法令によって規制をかけました。

桃山拵

桃山拵 桃山時代

天正拵(助真拵)(刀身 太刀 銘 助真 号 日光助真)

天正拵(助真拵)(刀身 太刀 銘 助真 号 日光助真

尾張拵(おわりこしらえ)

尾張拵は尾張徳川家家中の平常指で素朴な鉄の尾張鐔をつけ、柄が短く、柄頭が細くなるのが特徴です。徳川御三家の一つだけあって重厚のうちに品の良さを感じさせますが、金物は取り合わせの物が多く実質的な面もあります。鞘は太めで鯉口は必ず中白にし栗形は角張り、鐔は尾張物を使用し鎺は必ず尾張鎺を用います。

柳生拵(やぎゅうこしらえ)

尾州徳川家剣術指南役・柳生連也斎厳包の差料の大小拵を本科とし、それを元に作られた拵を柳生拵といいます。尾州柳生家始祖・柳生利巌の三男として生まれ、生涯妻帯せず武芸に精進した逸話の多い人物です。柳生拵は尾張拵を元にしているためよく似ており、柄前は尾張拵風になっています。鐔は必ず柳生鐔を用います。

柳生拵

柳生拵(大小) 江戸時代中期

薩摩拵(さつまこしらえ)

薩摩示現流の剣法をもとに造られた打刀拵のことをいいます。示現流は自現流、元顕流ともよばれ、いずれもただ一撃で敵を倒すことを主とした剣法として現在まで伝わっています。そのため実戦的な拵であり、武骨な拵であり、城備えの御用意刀はすべてこの様式でした。柄は太くやや長めで厚手の牛革で包みます。鍔は鉄のやや厚手の小型で鞘止めの孔があります。これは示現流の厳しい戒めで「平常は決して刀を抜くべからず、またやむを得ず抜いた場合には必ず相手を倒すべし」といわれています。そのため、鐔の小孔に針金を通して栗形に結び、刀が鞘走らぬように心掛けていました。刺客に襲われたときは鞘ごと引き抜いて一撃で敵を倒したといわれています。

薩摩拵

薩摩拵 江戸時代後期

肥後拵(ひごこしらえ)

肥後拵は肥後藩主細川三斎の創作による細川藩に伝わる拵で細川三斎が戦場を駆け巡った実戦体験と千利休から教え込まれた風雅の精神を加えて造り上げています。墓場に行くまで使えるほど堅牢を旨としています。居合に用いることが多く、刀身も約六五センチぐらいのものが多く、柄も約二〇センチ前後と短くなっています。正保(一六四四)ころから他国の武士も見習うようになり、幕末になると江戸を中心に流行し細川藩の江戸屋敷の抱え金工により製作された肥後拵を江戸肥後拵といいます。また肥後拵で有名なところでは、細川三斎の愛刀・加賀国の刀工信長作の刀の拵である「信長拵」、同じく歌仙兼定の拵である「歌仙拵」や宮本武蔵が考案したと云われる武蔵拵(二天拵)や細川三斎が京都大徳寺の希主坐の僧の無礼を咎めて殺害したのが由来となった希首坐拵(きしゅそこしらえ)があります。細川家では信長拵・歌仙拵を「御家流拵・御家拵」と称して殊の外尊重されました。

腰刻鞘肥後拵

腰刻鞘肥後拵 江戸時代末期

歌仙拵(かせんこしらえ)

室町時代の関(美濃)の刀工兼定作の刀(号 歌仙兼定)につけた拵で、細川三斎(忠興)が不忠の者三十六名(或いは六名)を八代に呼び寄せ、自ら成敗したことから三十六歌仙(もしくは六歌仙)に因んでこの名があります。柄は黒漆塗り鮫皮を着せ、燻革(ふすべかわ)を巻き、鉈豆(なたまめ)の金目貫、鐔は丸形影蝶透かし、鞘は研出し鮫に一部印籠刻みを施しています。後代の肥後拵と比較すると頭は大振りです。

歌仙拵

信長拵(のぶながこしらえ)

細川三斎(忠興)の刀に加賀国の刀工信長作の刀があり、この刀に付けた拵からこの名があります。黒塗鮫の柄に燻革(ふすべかわ)を巻き、鞘は柳鮫の研出し黒塗で、鐔は藩工の西垣勘四郎作で、鉄地に海鼠透かし(なまこすかし)になっています。目貫と笄は二疋蛸魚の模様で古正阿弥の作で、小柄の取合せに苦しんだ挙句、利休に相談し銀の無地の袋小柄にしたもので、下緒は法橋茶の畝打(うねうち)と呼ばれるものです。信長拵の本歌は現存していませんが後世の写しが現存します。

信長拵

庄内拵(しょうないこしらえ)

庄内金工の作品を用いた打刀拵のことをいいます。出羽の庄内藩で広く用いられ、武骨で泥臭さが魅力です。砂を混ぜた漆で鞘を塗り、その上から皮で包んで合わせ目を金で締めたものを使います。柄は鮫の代わりに皮で包んだものが多く、鎺は横に一文字をほったいわゆる庄内鎺を使用します。

庄内拵

庄内拵 江戸時代末期

拵とは刀装の形式のことです。太刀拵と打刀拵とあります。鋼月堂では日本刀の拵も査定・買取いたします。

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