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刀剣ブログ

蜻蛉切・本多忠勝の愛槍

蜻蛉切

蜻蛉切(とんぼきり)

  • 指定:なし
  • 銘 :藤原正真作(名物 蜻蛉切)
  • 所蔵:個人蔵(矢部コレクション)寄託先 佐野美術館
  • 種別:槍
  • 流派:三河文殊派

号蜻蛉切

槍 銘 藤原正真作(号蜻蛉切)出典:日本のかたな・鉄のわざと武のこころ

蜻蛉切

蜻蛉切押形

出典:音にきこゆる・島田の刀鍛冶と天下三名槍図録

 

蜻蛉切押形

蜻蛉切押形 出典:日本刀講座

本多忠勝の愛槍

本槍は、徳川四天王の一人本多忠勝の愛槍で「日本号」「御手杵」と共に天下三名槍の一つに数えられる名物「蜻蛉切」です。号の由来は、本多忠勝が槍と立てて休んでいた時に、穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになったという逸話からこの号が付いたと伝わっています。この槍を手に忠勝は多くの合戦にのぞみ、彼なしで徳川家康の天下平定は語れないと言っても過言ではないほどの武勲を立てました。一説には、家康が忠勝に「そなたのこの槍で儂は日本を手に入れたのだから、名を日本切としたらどうじゃ」と言ったので、忠勝は日本では恐れ多いので、日本の別称である蜻蛉(トンボの事を古語であきつといい、日本列島の形がトンボの交尾の形に似ていることから、日本には秋津島(あきつしま)という別称があります)から取って「蜻蛉切」としたという話も伝わっています。江戸期を通じて本多家に伝わりましたが、戦後本多家から愛刀家の矢部利雄氏に譲渡されました。本槍の作者の正真は、三河文殊派の刀工といわれていますが、同時期に大和文殊派にも同名の刀工がいて、しかも両者の銘振りが似ていることから同人という説もあります。拵は現存していませんが、当初蜻蛉切の柄の長さは二丈余(通常は一丈半)とかなり長かったと伝わり、晩年に忠勝が「己の力に見合う長さがよい」と言って柄を三尺余ほど短く詰めさせています。

家康麾下随一の勇将

本槍の所持者である本多忠勝は、家康麾下随一の勇将と称され、通称の平八郎でも広く知られています。家康の安祥譜代(徳川家の譜代の最古参)の本多氏の一族本多忠高の長男として天文十七年に三河国額田郡蔵前(現在の愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれた忠勝は、幼い頃から家康に仕え、永禄三年に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣、このとき、同時に元服しました。桶狭間で今川義元が敗死、家康が今川家から独立して織田信長との清洲同盟を締結すると、忠勝は上ノ郷城攻めや牛久保城攻めなどに参戦しました。三河一向一揆では、多くの本多一族が敵となる中(同族の本多佐渡守正信はこの時敵対しています)で、浄土真宗(一向宗)から浄土宗へと改宗して家康側に残りました。永禄九年に旗本先手役に抜擢された後は、旗本部隊の将として常に家康の居城の城下で居住しました。姉川の戦いでの朝倉軍の豪傑・真柄十郎左衛門(太郎太刀の持ち主)との一騎討ちや武田軍との連戦などで名をはせた忠勝は、これらの合戦における活躍で敵味方を問わずに賞賛され、家康からは「まことに我が家の良将なり」と激賞されました。特に忠勝の名を上げたのが天正十二年の小牧・長久手の戦いで、単騎で豊臣の大軍の前に立ちはだかり、さらに川に乗り入れて悠々と馬の口を洗わせました。この豪胆な振舞いや活躍などをみた豊臣秀吉から「東国一の勇士」と賞賛されました。天正十四年から十六年の間に従五位下中務大輔へと叙位任官され、天正十八年に家康が関東へ移封した際に里見家への抑えとして上総国大多喜五万石が与えられました。関ヶ原の戦いでは、竹ヶ鼻城攻めや岐阜城攻めなどの前哨戦や本戦に参戦した忠勝は、戦闘だけでなく吉川広家などの豊臣恩顧の諸大名に井伊直政と連署の書状を送り、東軍方につける工作でも活躍しました。この功績により、慶長六年に西国への抑えとして伊勢国桑名十万石に移されました。慶長十四年に嫡男忠政へ家督を譲って隠居、慶長十五年に桑名で死去しました。
忠勝が、生涯において参加した合戦は大小合わせて五十七回(諸説有)にも及びましたが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられています。そんな忠勝が、晩年に小刀で自らの持ち物に名を彫っていた際、手元が狂って左手にかすり傷を負いました。この時忠勝は「わしも傷を負ったら終わりだな」と呟き、その言葉通り数日後に亡くなったと伝わっています。前述の通り、一般的に戦闘での活躍にばかり光が当てられる忠勝ですが、桑名藩の藩政を確立する為に町割りの断行や宿場の整備などを行い、城郭の修繕を図るなど桑名藩創設の名君として仰がれています。これには、戦乱の収束によって本多正信・正純親子などが家康・秀忠の側近として台頭したことにより、忠勝が晩年に幕府の中枢から遠ざかったことも少なからず影響しているかもしれません。

「天下三名槍」中唯一の武勲

この槍は、姿は平三角造りの大きな笹穂槍で、彫は表に鎬筋を挟んで二組の細い二筋樋を掻き、裏面にけら首の上の平の部分に蓮台と不動明王を表す梵字、その上の太い樋の中に三鈷剣と地蔵菩薩、阿弥陀如来、聖観世音菩薩を表す梵字を彫っている。鍛えは、板目に柾がかり、よく詰む。刃文は、互の目に湾れ交じり、小沸つき、砂流しかかる。茎は、鑢目切、目釘穴二、「藤原正真作」の五字銘を切っている。本槍は、「天下三名槍」の中で唯一武勲を残しており、出来もさることながら、「天下を取った槍」というその出自が「天下三名槍」に数えられた所以の一つだと思います。

蜻蛉切の展示情報

蜻蛉切は「名刀は語るー美しき鑑賞の歴史」2018年6月2日(土)~7月16日(月)岡崎市美術博物館で展示されました。
次回の蜻蛉切の展示は未定ですが、不定期に展示されますので機会があれば是非ご覧になって下さい。
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