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刀剣ブログ

信国派・山城伝と相州伝を受け継ぐ流派

信国派

信国派(のぶくには)

京から九州へ活動拠点が移る

信国派は、古書では了戒の子である了久信の子或いは孫で相州貞宗に学んだとされる建武頃の信国より始まったと伝わっています。しかし、現存する信国の作刀に建武頃の物が見当たらない上、信国最古の年紀である延文年紀の作風が貞宗と直結する為に、現在では建武ではなく延文頃の信国を初代信国とするのが通説となっています。また、延文三年及び慶安元年紀の作刀に来派風の直刃がみられることからも、初代信国が了戒の血縁者という所伝も頷けます。もし、建武の信国が存在しないと仮定すれば、初代信国は年代的に見て了久信の孫と思われます。
室町初期まで京で活躍した信国派ですが、三代信国の子信国吉家が豊前国宇佐へ移住し、八代にわたり同地で鍛刀しました。この一派を「京信国」と区別するために「筑紫信国」と呼んでいます。十二代目信国吉貞は、豊前中津を治めていた黒田家が、筑前国福岡へ転封した際に共に福岡へ移住し、以後子孫は明治に至るまで同地で作刀しました。その為、「筑紫信国」と区別するために彼らを「筑前信国」と呼称しています。

薙刀 銘 了戒子息久信作 徳治三年戌申十月六日

薙刀 銘 了戒子息久信作 徳治三年戌申十月六日 出典:日本刀京の名匠

初代信国は貞宗三哲の一人

下記で信国派の主な刀工を紹介していきます。
初代信国は、前述の通りかつては鎌倉最末期である建武頃の人といわれていましたが、今日の研究では南北朝期の延文頃の信国を初代信国としています。貞宗三哲の一人に数えられるように、同工の作風や彫に師貞宗の影響が色濃く感じられます。また、初代信国には正真確実な太刀の遺例が現存していません。
左衛門尉信国は、姓を源、初銘を信光といい、後に信国の名跡を継いだと伝わっています。これは、至徳二年紀の源左衛門尉信光銘の作刀があり、応永五年以降に信国銘の作刀がみられることからも明らかです。また、左衛門尉信国には銘振りに特色があり、信国の「国」の字が左字(逆字)になります。これは信国派の他工には見られない特徴です。
式部丞信国は、左衛門尉信国と並び室町期の山城を代表する名工です。式部丞信国は、左衛門尉信国の兄弟と伝わっており、代表作としては富士山本宮浅間神社が所蔵する「脇差 銘 奉 富士本宮源式部丞信国 一期一腰 応永卅二二年二月日(重要文化財指定)」が知られています。
初代信国と左衛門尉信国、式部丞信国の間に二代信国を置く説もありますが、これは建武の信国を初代とした場合と思われます。在銘の正真確実な建武の信国が見出されない限り、二代信国は存在しないか、もしくは短命で作刀が極めて稀と考える方が良いと思います。

重文 脇差 銘 信国

重文 脇差 銘 信国 出典:昭和大名刀図譜

小太刀 銘 源左衛門尉信国 応永卅二二年二月日

小太刀 銘 源左衛門尉信国 応永卅二二年二月日 出典:日本刀大鑑

脇差 銘 奉富士本宮源式部丞信国 一期一腰応永卅二二年二月日

脇差 銘 奉富士本宮源式部丞信国 一期一腰応永卅二二年二月日 出典:日本刀大鑑

押形:重文 脇差 銘 信国 出典:日本刀五ヶ伝の旅・山城伝編

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