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刀剣ブログ

日本号・呑取りの槍

日本号

日本号(にほんごう)

  • 指定:なし
  • 無銘(名物 日本号)
  • 所蔵:福岡市
  • 種別:槍
  • 流派:作者不詳(大和金房派が有力)

日本号

大身槍 無銘(号 日本号) 出典:黒田家の甲冑と刀剣図録

日本号

出典:日本刀大百科事典

日本号

出典:音にきこゆる・島田の刀鍛冶と天下三名槍図録

日本号

出典:刀剣春秋

通称「呑取りの槍」

「酒は呑め呑め 呑むならば 日の本一のこの槍を 呑み取るほどに 呑むならば これぞ真の黒田武士」で始まる民謡「黒田節」で謡われた「日の本一の槍」こそ本槍「名物日本号」です。「日本号」は、「蜻蛉切」「御手杵」と並んで天下三名槍の一つであり、現存する槍の中では最も高い評価を受けている名槍です。号の由来については諸説ありますが、「日の本一の槍」という呼び名から「日本号」と言われるようになったのではないかと思われます。元々、本槍は皇室が所蔵していましたが、正親町天皇が足利十五代将軍足利義昭へ与え、義昭から織田信長、信長から羽柴秀吉、秀吉から福島正則へと下賜されました。ある時、京の伏見城に滞留中の福島正則の下へと主君黒田長政の使者として使わされた母里太兵衛友信は、正則の屋敷で酒を勧められました。友信は家中でも指折りの酒豪でしたが酒癖も悪かった為、出立前に長政より「正則公は酒好き故、そなたに酒を勧めるかもしれぬが、何か粗相があっては困るので、盃を勧められても飲むことを禁ず」と言われていた友信はそれを固辞しました。しかし、酒豪でもある正則は「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」と友信に酒をしつこく勧め、ついには「黒田の者は酔うと役に立たぬほど酒に弱いのか」と正則に挑発された友信は、これを受けてなみなみと注がれた大杯を数杯呑み干すと、褒美として正則が秀吉から拝領した「日本号」を所望しました。不覚を取った正則ですが、流石に秀吉から拝領した「日本号」を差し出すのには躊躇い、「何か他のものに」と申しましたが、友信の「正則公は武士にも関わらず二言を申すのですか」という言葉を受け、褒美として本槍を差し出しました。その後、上記の逸話から「呑取りの槍」とも呼ばれた本槍は、母里家に代々伝わり、大正年間に同家の事情から右翼の大物として知られる玄洋社総帥頭山満に売却されました。頭山から同じく玄洋社の大野仁平に与えられた本槍は、仁平の死後に安川敬一郎男爵(安川財閥の創始者)が買取り、旧藩主である黒田家に贈与しました(因みに頭山満も安川敬一郎も元福岡藩士の家柄です)昭和53年に黒田茂子(黒田家第十四代当主黒田長礼侯爵の夫人)より国宝「名物日光一文字」「名物へし切長谷部」などと共に福岡市へ寄贈されました。

天下三名槍の筆頭

この槍は、平三角の大身槍で、平に掻かれた樋の中に真の倶利伽羅龍を浮彫で施している。鍛えは、板目に流れごころの肌交じり、地沸つく。刃文は、直刃調にややほつれ交じる。戦後、本槍の写しに挑戦した人間国宝隅谷正峯刀匠は著書の中で、長らく大身槍の製法が絶えていた為、刀と同様の方法では焼き入れの際に反り返り、作るのに非常に苦心したと書かれています。現代刀匠が、苦心してでも挑みたくなるほどの美しさを秘めた本槍は、天下三名槍の筆頭であり、まさに日本を代表する名槍の一つです。

日本号の展示情報

別名「呑取りの槍」といわれる名槍「日本号」は福岡市博物館にて常設展示されています。
全国の刀剣展示会情報はこちら

画像 (出典:新版 日本の名槍)

へし切長谷部・凄まじい切れ味を秘めた名刀

中部地方の刀剣展示会

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