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刀剣ブログ

安土桃山時代から江戸時代の刀剣

安土桃山時代から江戸時代の刀剣

豪放なる刀相―桃山時代―

元から先まで身巾が広く、切先が大きく延び、反りの少い刀は見るからに豪放な姿である。この時代からの刀を新刀と呼び、これ以前を古刀と呼ぶ。なぜ新刀というか色々説があるが、この名称は江戸初期においてすでにあり、本質的には中世的世界から抜け出し、新しい近世の社会を打立てた信長・秀吉・家康などの姿勢を物語るものであろう。秀吉の刀狩りにより、庶民は帯刀を禁止され、刀は武士を象徴するものとなった。そこで、武士にふさわしい名刀を造る場合、その範として過去に最も豪快で烈しい鎌倉時代から南北朝時代にかけての相州伝が好まれたのであろう。しかし徒歩を主とし軽便となった打刀を、再び太刀にもどすことは不可能で、太刀を磨上げ(切り詰めること)た姿になった。また、打刀に脇指を添え、大小二本を指すようになったのはこの頃からである。脇指が必要となったのは、殿中や室内で日常腰に帯びる為といわれる。そのため短刀の需要が少なく、新刀期の短刀は極めて少いが、姿は刀と同じように南北朝期のものに重ねを厚くしたのが多い。

重要文化財 刀 銘 慶長九年十一月吉日信濃守国広作/依賀茂祝重邦所望打之

重要文化財 刀 銘 慶長九年十一月吉日信濃守国広作/依賀茂祝重邦所望打之

重要文化財 刀 銘 繁慶(号 下條繁慶)

重要文化財 刀 銘 繁慶(号 下條繁慶)

華奢なる刀―江戸中期—

江戸幕府が開かれて五十有余年、徳川三代将軍の治世ともなると、天下は泰平となり、武士も奢侈に走り、柔弱となった。武士のたしなみとしての剣道の発達から、刀は剣道向きに反りが少なく、袴着の姿で操刀するに都合の良い華奢な姿となった。すなわち、元巾より先巾が細くなり、整った中鋒で、反りの浅い刀姿である。これが俗に寛文新刀と呼ばれるものである。

脇差 銘 和泉守国貞(菊紋)寛文八年二月日

脇差 銘 和泉守国貞(菊紋)寛文八年二月日

よみ返る長大な刀―江戸末期以降―

江戸中期以降、国学の盛隆にともない、勤王思想が勃興した。それにつれて、刀も南北朝以前のものに返るべきであるとする復古精神が台頭した。その首唱者は羽前山形秋元家の藩臣川部儀八郎正秀であり、王政復古・尊王攘夷などの時代的風潮が進むにつれ、各地で賛同者を得、鍛刀界はとみに活況を呈した。ただこれらもやはり刀として指すため、また剣道にもよって、長寸ではあるが反りの少ない大鋒の刀がつくられた。明治維新の時、廃刀令により、鍛刀界は衰退の一途をたどったが、明治天皇の愛刀熱と国力の昂揚にともない、新たな息吹きが見られた。

重要美術品 刀 銘 為窪田清音君 山浦環 源清麿製 弘化丙午年八月日

重要美術品 刀 銘 為窪田清音君 山浦環 源清麿製 弘化丙午年八月日

画像:重要文化財 刀 銘 長曽根興里入道乕徹

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