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刀剣ブログ

日本刀の号とは

義元左文字

日本刀の号とは

神話の時代から続く愛称文化

日本刀、刀剣には固有の名前を持ったものが多くあり、一種のニックネーム、刀や刀剣の名前であるこの呼び名を刀剣界では「号」と呼びます。刀剣の号で有名なものでは、古くは三種の神器の一つ「草薙剣」があります。元々は天叢雲剣とよばれ、ヤマトタケルが火に囲まれたときに燃えさかる草を薙ぎ払って命が助かったため草薙剣(焼かれた地が焼津、草を薙いだ場所が草薙、いずれも静岡県に現存する地名です)と名付けられたといわれています。古来より日本人は刀剣を愛着と信仰の対象として大切にしてきました。日本刀の号には刀に対する思いが伝わっているのです。所有者や刀剣の形状に因んだ号、切れ味に由来する号、もしくはその刀剣にまつわるエピソードなどから付けられた号まで、さまざまな由来によって号は付けられています。

名物の号・名刀の号

名物の号の由来も様々でかつての所有者の名前をつけたもの、たとえば伊勢国桑名城主本多中務大輔所持の中務正宗、北条氏に仕えた武将、板部岡江雪斎が所持の江雪左文字、一柳直盛が所持し後に前田家に伝来した一柳安吉、分部左京亮光嘉が所持の分部志津、淀城主永井信濃守所持の信濃藤四郎、観世左近所持の観世正宗、宮本武蔵が愛用したといわれる武蔵正宗、今川義元の義元左文字(元々、三好政長(宗三)の持ち物であった為、宗三左文字とも呼ばれています。)、宇喜多秀家(嫡流は宇喜多、庶流は浮田を称した)の浮田志津、肥前平戸城主、松浦鎮信の所持にちなむ松浦信国、加藤清正の加藤左文字、福島正則の福島兼光、浅井長政の浅井一文字などが挙げられます。

一柳安吉

短刀 銘 左安吉(名物 一柳安吉)

分部志津

刀 無銘 志津(名物 分部志津)

松浦信国

小太刀 銘 源左衛門尉信国 応永廿一年二月日(名物 松浦信国)

福島兼光

太刀 銘 備州長船住兼光/観応□年八月日(名物 福島兼光)

また造り込み、形状、彫刻などからつけた号では幅広の異様な造り込みから庖丁正宗、ふくらが鯰の尾のようにふっくらしていることから鯰尾藤四郎、藤四郎吉光には珍しく乱れ刃ゆえから乱藤四郎、愛染明王の毛彫りがあることから愛染国俊、藤四郎吉光の作で同作中唯一の鎧通しで、その重ねの厚い造り込みから厚藤四郎、石田三成の愛刀で刀の棟に切込疵があることから石田切込正宗、その他、不動国行、地蔵行平などがあります。またその伝来を伝えるものには平安朝の昔、源頼光が大江山の酒呑童子を苦心の末斬って京都の人心の安定を計ったと伝えられる太刀、童子切安綱があり、数珠丸恒次は日蓮上人が信者より贈られたもので、この太刀の柄に常に数珠を結びつけていたところから呼ばれたものです。その他、鬼丸国綱、薬研藤四郎などが挙げられます。

名物 不動国行

太刀 銘 国行(名物 不動国行)

愛染国俊(あいぜんくにとし)

短刀 銘 国俊 (名物 愛染国俊)

そして切れ味のよいことからつけられた号では籠手切正宗、釣鐘切国行、へし切長谷部、竹俣兼光(鉄砲切り兼光)、鉋切長光、波遊ぎ兼光などがあります。竹俣兼光(竹股兼光とも書きます)は竹俣三河守から謙信へ渡り、竹俣兼光と呼ばれる名刀でしたが川中島の合戦で鉄砲を構えていた輪形月平太夫の鎧もろとも鉄砲の銃身まで切り落としたことで鉄砲切り兼光と名が改められたといいます。鉋切長光はこの小太刀を又五郎という武士が佩刀しており、出入りの大工と一緒に伊吹山(現在の滋賀県)に向かっていたところ大工が化け物の本性をあらわして襲いかかってきてので又五郎が刀で斬りかかると、大工は鉋で攻撃を受けたが鉋ごと真っ二つになったという説話から鉋切と号されるようになったといいます。特に波遊ぎ兼光は備前国兼光の作品で、逃げて行く敵将を川辺りでやっと追いつき、川を渡り始めたところを背後から一太刀浴せたところ、その者が川を渡り向う岸に着いたとたんに胴体が真二つに裂けたと伝えられています。またこの太刀は太閤記によれば文禄四年、関白秀次が高野山で自害した際、介錯に使ったものといわれています。兼光の作には波游・鉄砲切・水神切などといった切れ味に因んだ号で呼ばれている作が多く、最上大業物にも選ばれています。他には、関の初代孫六兼元の作で、慶長のころ前田利家の二男利政が下手人を一刀の下に成敗したところ南無阿弥陀仏を二口となえて胴体が割れたといわれる二念仏兼元なども有名です。

鉋切長光

太刀 銘 長光(名物 鉋切長光)

波泳兼光

刀 (金象嵌銘) 羽柴岡山中納言秀詮所持之 波およき末代之剣兼光也(波遊ぎ兼光)

竹俣兼光(鉄砲切り兼光)

太刀 銘 備州長船兼光 延文五年六月日(名物 竹俣兼光)

また豊臣秀吉の蔵刀で長大で堂々たる姿を称えた大三原、同じく秀吉の遺物として藤堂佐渡守に贈られ長大な姿から大兼光(元来、野太刀と呼ばれる長大な大太刀であったものを慶長年代を下らぬ頃に磨上げられ、後に本阿弥光温が金象嵌で極めを入れている)、もと足利尊氏の愛刀で足利将軍家の重宝で三池典太光世の作中出来が傑出していることから名付けられた大典太がありますが、「大」の字を付けることは、長い・大きいという意味ばかりではなく最も出来が優れたもの、第一等の作という意味にも用いられています。他にも「大」がつく名物の刀には大包平、大江、大青江(前田家伝来の2口の青江の刀があり、小さい方を小青江、それに比べて大ぶりだったことから大青江と号する)などがあります。

太刀 (金象嵌銘) 大三原 二ツ筒 浅野紀伊守拝領 本阿弥光徳(花押)(名物 大三原)

太刀 (金象嵌銘) 大三原 二ツ筒 浅野紀伊守拝領 本阿弥光徳(花押)(名物 大三原)

大兼光

刀(金象嵌銘)備前国兼光 本阿弥(花押)(名物 大兼光)

小青江

刀(金象嵌銘)貞次(名物 小青江)

また名物の茶器類のように和歌や詩の歌意から名づけられたものに西行の歌に因んで所持者の細川幽斎が名付けた小夜左文字、南泉普願の故事、南泉斬猫に因む南泉一文字、古今和歌集の藤原家隆の歌にちなんで名づけられた横雲正宗や万葉集の歌にちなんで名付けられた児手柏包永などがあります。児手柏は水戸徳川家に伝来し大和国手掻包永の作、かつては細川藤孝(細川幽斎)所持し、大正十二年の関東大震災で焼身になりました。幽斎は表裏異なる焼刃(裏は直刃、裏は乱れ刃)の本太刀を「奈良山の 児手柏の 両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(ねじけひと)の徒(とも)」という万葉集の歌にちなんで児手柏と名づけました。また振分髪の号の由来が非常に興味深いです。天正年間、織田信長が越前国朝倉氏の支城を攻め落した際、戦利品として正宗在銘の名刀を得ました。その後信長はこれを自分の差料にしたいと考えましたが余りにも長寸で身に合わず、磨上げて短かくすれば天下にまれな正宗の銘刀が無銘になるのでさすが豪胆な信長も判断に迷い、当時一流の鑑識家であり文武両道の達人である細川幽斎に意見を求めました。そこで幽斎は振分髪の号を贈りこれに答えました。これは伊勢物語に「くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」の歌意に由来しています。歌の意味は幼い時から親しんで来たおさな友達の男女が年頃になって男が恋歌を作り娘に送った際の返歌です。肩過ぎぬとは髪が延びて肩より下り嫁入りできる年頃になったということであり、また髪をあぐるとはあげるのなまりで俗に花柳界などでいう「水揚げ」にも通ずる言葉で、娘から一人前の女になることで、貴方以外の誰がこの髪を上げてくれると言うのですか、という意味です。すなわち幽斎は名刀正宗の在銘物はまことに世にまれなものですから、これを磨上げて無銘にするのはまことに勿体ないことですが、武将たるものは実用を旨とすべきで、恰好や体裁などにこだわることなく長ければ磨上げなさい。しかも天下一の大将たるあなたが磨上げるならば作者の正宗も許し、何の文句もいわないでしょう。正宗の銘刀を磨上げ得る人は信長様以外には誰一人として外にはありませんというお世辞を多分に含んでいるわけですが、幽斎の教養の深さをも示しています。なおこの太刀は豊臣家滅亡の際、大坂城と共に焼失しました。

また幽斎の息子の細川忠興(三斎)所有の刀剣では家臣三十六人(或いは六人)をこの刀で切ったことから三十六歌仙(もしくは六歌仙)に因んで名付けされた歌仙兼定や浮股信長、希首座などなかなか残虐な逸話をもつ刀が多いですね。

児手柏

太刀 銘 包永(名物 児手柏)

土佐藩主山内家に伝わるもので、山内家では土佐一国にも替え難いという意味の号をもつ一国兼光は同家では特別の一棟を建て、厳重な警戒と極秘を守り続けて明治維新に及んでいます。なおこれは旧国宝で現在重要文化財に指定されています。会津(現在の福島県会津若松市)を領していた蒲生氏郷の佩刀だったことから名付けられた会津新藤五、会津正宗、日光権現社に奉納されていたものを北条早雲がもらい受けたことから名付けられた日光一文字など、地名にちなむもの、皆さんご存知の三条宗近作、刃身に三日月形の打ちのけが見られることから名付けられた三日月宗近、また室町時代以来、十万束と号して名高く、その価値は稲穂十万束に相当するという意味で当時から高い代付けがされた御物の十万束(束とは稲穂の量を測る単位で1束は10把に相当します)、そして郷義弘の作で本阿弥家が五月雨の季節に極めたとも、義弘が五月雨の季節に作り、また肌が霧のように美しいからともいわれた五月雨江などは他の号と異なり詩情的な由来があります。日本刀の号とは神話の時代から続く相性文化で愛着や敬意が込められていますね。

十万束

御物 太刀 銘 信房作(号 十万束)

五月雨江

刀 無銘 江義弘 (名物 五月雨江)

画像 刀 金象嵌銘 織田尾張守信長・永禄三年五月十九日 義元討捕国刻彼所持 名物:義元左文字(出典:大名家秘蔵の名刀展図録

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