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刀剣ブログ

今剣・義経の愛刀

今剣(いまのつるぎ)

義経記

出典:寛文10年刊 義経記

義経は本短刀で自刃

本短刀は、三条宗近が鞍馬山中で作って奉納し、後に鞍馬寺別当の東光坊蓮忍が源義経に贈ったとされる名物「今剣」です。号の由来は不明です。義経は、「義経記」によれば幼少期に貰った本短刀を愛蔵していて、常に甲冑の下に忍ばせており、最後の時に本短刀で自刃したとされています。
髭切」や「膝丸」「岩融」などと同じく「今剣」が現存する可能性は低いと思われますが、義経の頃に三条宗近は現代刀匠ですので、京にいた義経が宗近作の短刀を持っていても不思議ではありません。

平家討伐の立役者・源 義経

源 義経は、源義朝の九男として生まれ、異母兄に鎌倉幕府初代将軍源頼朝などがいます。義経は、母が常盤御前、幼名を牛若丸、稚児名を遮那王といい、平治の乱で父義朝が敗死したことで鞍馬寺に預けられました。やがて元服した義経は、平泉の奥州藤原氏の当主藤原秀衡の庇護を受けて成長しました。やがて兄頼朝が挙兵すると、秀衡の反対を押し切って馳せ参じ、平家討伐の立役者となりました。その後、頼朝の許可を得ることなく官位(左衛門少尉 通称「判官」)を受けたことで頼朝と不仲となると、対立した頼朝によって朝敵とされました。義経は、度々頼朝との和解を試みましたが、頼朝の怒りは解けるどころか増幅し、窮地に立たされた義経は再び藤原秀衡を頼りました。しかし、頼みの綱であった秀衡が奥州入り後に没すると、秀衡の跡を継いだ藤原泰衡に攻められ、衣川館(現在の岩手県西磐井郡平泉町)で自刃しました。
また、義経は源平合戦における活躍と悲劇的な最期が多くの人の心を掴み、彼の官職名から「判官贔屓」という言葉も生まれました。義経の伝説が多いのも、彼がそれだけ多くの人に愛された一つの証明ともいえます。

今剣の展示情報

今剣の現存は不明ですが、作者と伝わる、三条宗近の作品は全国の刀剣展示会で不定期で展示されます。機会があれば是非ご覧になって下さい。
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