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刀剣ブログ

疱瘡正宗・世嗣の祝儀に代々使われた刀

疱瘡正宗

疱瘡正宗(ほうそうまさむね)

疱瘡正宗

疱瘡正宗

疱瘡正宗

重文 刀 銘 無銘 相州正宗 (号 疱瘡正宗)出典:佐野美術館図録 日本刀正宗-日本刀の天才とその系譜図録

疱瘡正宗押形

疱瘡正宗押形

疱瘡正宗押形 出典:佐野美術館図録 日本刀、正宗-日本刀の天才とその系譜図録

将軍から世嗣へ疱瘡全快祝いに贈られた

本刀は、正宗の作で、徳川将軍家伝来で「疱瘡正宗」の号があります。号の由来は鞘書にも「天保十一子辛年十一月六日、御疱瘡、御快然御祝儀之時、従公方様、右大将様へ被進」とあり、将軍から若君の疱瘡全快祝いに贈られたので、「疱瘡正宗」と呼ばれました。疱瘡(ほうそう)とは天然痘のことで乳幼児期に発症し、伝染力が非常に強く死に至る疫病として恐れられ、治っても顔に瘢痕を残してしまうため、江戸時代には「美目定めの病」と呼ばれていました。

本刀は、『御腰物元帳』や『徳川実記』によると元禄十六年(1703年)に伊勢津藩四代藩主の藤堂高睦が襲封の礼として、徳川綱吉(徳川幕府五代将軍)に献上し、宝永二年(1705年)十二月一日、将軍綱吉より紀州徳川家を相続し五代藩主となった徳川吉宗(徳川綱吉の「吉」の字を与えられ吉宗と名乗る)へ藩主就任の引出物として与えられ、享保元年(1716年)に徳川八代将軍となった吉宗が息子家重の疱瘡全快を祝して本刀を家重に贈り、その後、九代将軍の家重から家治へ、十一代将軍の家斉から家慶へ、十二代将軍の家慶から家定というように将軍から世嗣(跡継ぎ)へ疱瘡全快祝いの祝儀に代々使われた由緒を持っています。現在は佐野美術館所蔵で名物小松正宗も所蔵しています。

正宗作として伝世する多くは大磨上げで、本作もそのひとつ

この刀は、姿は鎬造、庵棟、中鋒やや延び、鍛えは板目、地沸よくつき、地景入り、刃寄に点々と沸こごる飛焼あり、物打は湯走りがかる。刃文はのたれ調の乱刃、よく沸え、金筋・稲妻入り、帽子は火焰ごころとなり、金筋殊に著じるしい。表裏棒樋掻流し。茎は大磨上無銘。 正宗は新藤五国光の弟子、地丸に地景・金筋を表わす師の作風を受けつぎ、さらにそれを強調して独自の道を開いた。地景・金筋は特に平安時代の安綱や古備前等にも見られ、それは用いた鋼質の自然から現われているものと思われるが、正宗のそれは意識的に硬軟の鉄を組み合わせることにより生じたものであろう。この正宗の鉄は軟かいと云われるが、その軟かい鉄を強い炎で焼き、二度と再現出来ない、一種の破墨にも似た刃文を造り出している。中反りの静かな姿、美しい光を放つ沸、躍動する地景・金筋、これが正宗の魅力である。

相州正宗についてはこちらをお読みください。

疱瘡正宗の刀剣展示

疱瘡正宗は2016年の3月12日(土)~6月5日(日)の佐野美術館の「刃文いろいろ」で火車切広光と展示されました。次回の疱瘡正宗の展示は未定ですが、相州正宗の作品は全国の刀剣展示会で不定期で展示されます。機会があれば是非ご覧になって下さい。
全国の刀剣展示会情報はこちら

疱瘡正宗画像 出典:生きている日本刀展 その美と歴史をさぐる図録

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