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刀剣ブログ

二つ銘則宗・足利将軍家伝来の笹丸太刀

二ツ銘則宗

二つ銘則宗(ふたつめいのりむね)

二つ銘則宗

二つ銘則宗

重文 太刀 銘 □□国則宗(名物 二ツ銘則宗)

重文 黒革包太刀(号 笹丸

黒革包太刀(号 笹丸)

重文 黒革包太刀(号 笹丸) 出典:名物刀剣-宝物の日本刀、日本の武器武具

足利尊氏佩用の太刀

本太刀は、福岡一文字派の祖、則宗の作とされる、享保名物帳所載の名物「二つ銘則宗」です。太刀拵は「笹丸」の号があり、その中身が名物「二つ銘則宗」です。享保名物帳に「京都将軍家御重代、尊氏公より一三代義輝公へ伝はり、鬼丸、大典多同時に義昭公より秀吉公へ進められ、早速愛宕山へ御納め」と記され、足利尊氏佩用の太刀、足利将軍家の重宝として知られ、尊氏から十三代将軍義輝まで伝え、鬼丸国綱大典太ともに十五代将軍義昭から秀吉に贈られ、本太刀のみ愛宕神社に奉納されました。「二つ銘」の号の由来は明らかとなっていませんが、則宗の作は、則宗と二字銘を切ることが知られていますが、本作が長銘のところから、日本刀大百科事典では「昔は□国と則宗の合作と推測し、二つ銘と呼んだ。」と書かれています。また「二つ銘は愛宕山へ御納め、二つ銘を小竹切と申す」と記され、別名「小竹切」とも呼ばれます。二つ銘則宗は正保二年(一六四五年)正月二十三日、愛宕神社が炎上した際に行方不明になりましたが、二十五日に丹波国一の鳥居原(京都府北桑田郡京北町鳥居)に刀箱があったと百姓たちが愛宕山へ持参し、刀袋に勅封、刀箱には五坊の封印がされたままだったといいます。そしてさらに外箱を作り、五坊の家来達が封印しました。その後、本阿弥光甫らが京都所司代板倉周防守に、二つ銘の拝見を願い出て、周防守がそれを愛宕神社に伝えましたが、昔より御代々勅封にて拝見したものがないと断られました。その後、享保四年(一七一九年)十月には八代将軍徳川吉宗が本阿弥光忠・光通を呼び出し側用人の有馬兵庫に本太刀のことを訊かせましたが、光忠は三条宗近の作ではないか、光通は伝来がないから分からない、と答えました。両名とも見たことがないので推測でしか答えることができなかったといいます。そこで、吉宗は京都所司代松平伊賀守に本太刀を愛宕神社より持参させ調査を命じました。京都所司代松平伊賀守に京都の本阿弥光盛が呼ばれましたが、刀身が鞘から抜けず、ならばと鞘師を連れてきて、ようやく抜けましたが、柄は割れてしまいます。刀身に錆はなく、三日かけて絵師に模写させ絵形を絵がかせました。そして京都所司代松平伊賀守は本阿弥光盛に命じ、刀身の木型と拵の写しを作らせ、翌年の正月十一日に出来上がったと記されています。その際に、本阿弥光盛が二つ銘の研ぎを承り、銘を模写して、外装も記録をとりました。本太刀は愛宕神社の神宝として伝えられ、拵と共に重要文化財に指定され、現在も京都の愛宕神社所蔵で京都国立博物館へ寄託されています。愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社は、古くは本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵(将軍地蔵)を祀り、「戦いの神」として多くの戦国武将たちの崇敬を集めました。愛宕神社で本能寺への進軍の前に明智光秀が詠んだ有名な句「ときは今天下が下しる五月かな」愛宕百韻や戦勝祈願のために愛宕神社で何度もくじを引いたという話は有名です。

笹丸の号をもつ革包太刀

塗鞘の上から皺革を着せ、渡巻を施し鐔も革で被い、柄は革着の上を糸巻とした太刀拵のことを革包太刀といい、風雪をしのぐため、野戦が盛んに行われた鎌倉時代末期から南北朝時代に流行した形で、鬼丸拵と同様の拵で、金具に竹の笹の毛彫りがあることから「笹丸」と号され「笹丸拵」とも呼ばれます。また名物帳に「愛宕にて申伝へ候は、源氏重代笹作りの御太刀と申す由」と記されているように「笹作り(篠作り)」の異名もあります。革包太刀の代表的太刀拵で拵と中身の刀身に別々の名物銘が付されているのは、本太刀だけです。笹丸の詳細は名物帳に下記のように記されています。「細、大切羽 赤かね笹の毛彫り、小切羽 六枚共赤銅小刻、鐔 革五枚練合、縁 赤銅七子笹毛彫、目貫 丸に二つ引、硝柄共青漆革にて鬼丸の通に縫ふくみ鬼丸同前に鐔袋も有之、 巻糸 唐茶、帯取色濃鼠地合麻共木綿共難見定と申来る。鬼丸之通可成哉、甲猿手 赤銅笹の毛彫。但柄は割革取鮫もとれ申に付相知る也、足責石付は革の下にて不知。柄の通可成哉、革先革の紋は無之、笹の蒔絵有之箱に入」

福岡一文字派則宗の作

この太刀は、姿は鎬造、長さは名物牒には二尺六寸八分とあるが、正しくは二尺六寸四分半、腰反が高く、小鋒となり、踏張りのある太刀姿は鎌倉初期を下らぬものである。鍛えは大板目肌立つ、刃文は直刃調に小乱・小丁子を交じえて足や葉が頻りに入り、匂口は総体に沈みごころとなって小沸がつき、金筋がかかるなど、なかなか尋常ならざるものがあり、表裏とも中程はやや焼幅も広く、盛んな丁子乱となり、帽子はのたれ込んで先は小丸である。茎はやや反りがついて生ぶ、目釘孔一つ、目釘孔の上、中央に則宗の二字は判読出来、その上に「国」の字らしい字画が見える。朽込んで明瞭でないが、恐らく備前国則宗と長銘があったものであろう。鎌倉初期の一文字派の作であることは疑う余地がない。

御番鍛冶 古一文字則宗

御番鍛冶

出典:後鳥羽院番鍛冶考

作者の則宗は、元暦の頃の人で、福岡一文字派の事実上の祖とされ、後鳥羽院御番鍛冶の一人(正月番鍛冶)として著名な刀工であり、その子助宗も世に知られる刀工です。則宗の在銘作は少なく、日枝神社所蔵の太刀 銘 則宗(国宝)と御物の太刀 銘 則宗が知られています。いずれも一文字の中では最も品格が高く、細身で腰反りが高く、小鋒のつまった太刀姿は優美で、鍛えは板目で肌がつみ、地沸がつき、小丁子の刃文を見事に焼き、日枝神社の則宗の銘は細塾、御物はやや太塾であり、同作には大別この二種の銘が見られます。また古備前と伝えるものに比しては、一段と技巧的であり、最も気品が高い。

一文字派についてはこちらをお読みください。

二ツ銘則宗の展示

二つ銘則宗は2015年の京都国立博物館「特別展 刀剣を楽しむ─名物刀を中心に─」にて展示されました。また2019年は九州国立博物館の特別展 「室町将軍ー戦乱と美の足利十五代ー」で名物 大般若長光や国宝 太刀 銘 康次とともに展示されました。二ツ銘則宗の次回の展示は未定ですが、一文字派の作品は全国の刀剣展示会で不定期で展示されます。機会があれば是非ご覧になって下さい。
全国の刀剣展示会情報はこちら

二ツ銘則宗押形 出典:名物刀剣-宝物の日本刀

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