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刀剣ブログ

厚藤四郎・吉光の作では唯一の鎧通し

厚藤四郎

厚藤四郎(あつしとうしろう・あつとうしろう)

  • 認定:国宝
  • 銘:吉光(名物 厚藤四郎)
  • 所蔵:東京国立博物館
  • 種別:短刀
  • 流派:粟田口派

短刀 銘 吉光(名物厚藤四郎)

厚藤四郎

厚藤四郎

国宝 短刀 銘 吉光 (名物 厚藤四郎)出典:昭和大名刀図譜

厚藤四郎押形

厚藤四郎押形

厚藤四郎押形 出典:銘刀押形 御物東博

重ねが極端に厚いことから号される

本短刀は、享保名物帳所載の名物厚藤四郎です。室町以来の名物で号の由来は、刃長が七寸二分(約21.8cm)と小振りながら重ね(刀身の厚さ)が極端に厚い造込みから名付けられました。鎌倉時代に重ねが厚い短刀は稀有で、いわゆる組打ちの際に鎧の間隙から刺突する「鎧通し」と称されるものです。本短刀は元々室町将軍家のもので、9代足利義尚が長享1年(1487)に江州 (滋賀県)へ出陣の時に帯用したといい、後に堺の商人が所持し、それを本阿弥光徳(または本阿弥徳光の従兄弟の本阿弥祐徳とも)が百貫で入手し、一柳伊豆守直末に譲り、その後、黒田孝高(号如水)、二代関白の豊臣秀次と移り、秀吉に関白の座を追われた秀次が自刃の際に(高野山金剛峯寺の「柳の間」は「秀次自刃の間」として知られています)寵臣の岡三十郎が拝領し、これで切腹したといいます。秀次の死後は豊臣秀吉から毛利輝元に、毛利家から徳川四代将軍徳川家綱に献上され、黄金千枚を下賜れたとされます。その後、一橋家に移り、昭和の初めに帝室博物館(現東京国立博物館)が買い上げて現在に至ります。

吉光の作では唯一の鎧通し

鎧通し

本作は姿は平造、三つ棟重ねとくに厚く、内反り、鍛は板目肌つみ、地沸よくつき地景入る。刃文は焼出しに小湾れ、互の目を焼き、中直刃に、足・葉よく入り金筋かかり、匂深く、小沸よくつく。茎は生ぶ、栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔二つ、表目釘孔の下に「吉光」の二字銘。吉光は鎌倉時代の京・粟田口派の刀工で通称を藤藤四郎というところから、享保名物帳には平野藤四郎、信濃藤四郎、後藤藤四郎などの呼称がつけられています。短刀の名手として名高く、多くは平造で、本作のように小振りのものから平野藤四郎のように大振りのものまで多様です。本作は名物平野藤四郎に比して、地鉄はやや肌立ちごころですが、刃中が働きが豊富であり、同作中でも名品の一つです。名物帳には代付が記されていますが、吉光の最も高い代付は、厚藤四郎と信濃藤四郎の五〇〇枚が最高で、また平野藤四郎の代付は不知代で、無代や不知代というのは、代金がつけられないほど貴重という意味となっています。

藤四郎吉光について

厚藤四郎の展示情報

厚藤四郎は2018年7月10日(火)~9月17日(月)東京国立博物館で展示されました。厚藤四郎の次回の展示は未定ですが、藤四郎吉光の作品は全国の刀剣展示会で不定期で展示されます。機会があれば是非ご覧になって下さい。
全国の刀剣展示会情報はこちら

厚藤四郎押形(出典:図説刀剣名物帳

 

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