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刀剣ブログ

会津新藤五・短刀の横綱

会津新藤五

会津新藤五(あいづしんとうご)

  • 指定:国宝
  • 銘:国光(号 会津新藤五)
  • 所蔵:法人蔵(寄託先 ふくやま美術館)
  • 種別:短刀
  • 流派:相州

会津新藤五

短刀 銘:国光(名物 会津新藤五)(出典:日本のかたな・鉄のわざと武のこころ

短刀銘国光(会津新藤五)

会津新藤五 茎

会津新藤五

会津新藤五押形

会津新藤五押形

会津新藤五押形 出典:刀剣美術名刀鑑賞編合本16

号は所持者の所領に由来

本短刀は、享保名物帳所載の名物会津新藤五です。号の由来は、会津藩主蒲生氏郷が所持していたことに因んで名付けられました。氏郷逝去後は、秀行、忠郷と受け継がれ、その後家臣の森川半彌に与えられ、主家である蒲生家断絶後に浪人となった半彌は、同族の森川勘解由の取次により加賀金沢藩二代藩主前田利常に金百枚で譲渡しました。前田家は、元禄十五年に五代将軍徳川綱吉が同家の屋敷へ訪問した際に、本短刀を名物村雲江と共に四代藩主前田綱紀から綱吉へと献上(この時に返礼として将軍家から島津正宗などを下賜)しました。以後、徳川将軍家に伝わった本短刀は昭和八年に徳川家達公爵所持で旧国宝に指定、戦後同家を出た後に愛刀家の中島喜代一氏(三日月宗近亀甲貞宗なども所蔵)が購入、昭和二十六年に青山孝吉氏(江雪左文字太閤左文字なども所持)の名義で国宝に指定、日本刀装具美術館を経て現在は法人蔵です。

蒲生氏郷は信長の娘婿

所持者の蒲生氏郷は、戦国期から安土桃山期にかけて活躍した武将で、戦場での活躍もさることながら、茶人としても利休七哲の一人(筆頭といわれています)に数えられるなど文武両道の活躍で広く知られています。
六角氏の重臣蒲生賢秀の三男として生まれた氏郷は、幼名を鶴千代といい、永禄十一年に父賢秀の主家六角氏が織田家に滅ぼされた後、織田家の家臣となった父の人質として織田家に差し出されました。この時に氏郷の大器を見抜いた織田信長は、氏郷が岐阜城で元服した際に自ら烏帽子親となったほどで、永禄十二年には次女(相応院)を嫁がせて氏郷を娘婿として迎えています。因みに、信長の娘の嫁ぎ先は同盟相手の長男(徳川家康の長男松平信康)や譜代の家臣の嫡男(前田家や丹羽家など)などがほとんどで、人質に嫁がせるのは異例のことです。このことから、若年でありながら、氏郷が信長から高い評価を受けていたかがわかります。元服後、信長の官職「弾正忠」から「忠」の文字を与えられ忠三郎賦秀と名乗った氏郷は、柴田勝家の与力として各地を転戦、織田家の主要な戦いのほぼ全てに参加しています。天正十年に信長が本能寺の変で討たれた後に、父より家督を譲られました。信長薨去後、秀吉に仕えた氏郷は、主君である秀吉の諱の一字である「秀」を下に置くことを避けるために、名乗りを賦秀から氏郷へと改めています。秀吉の下でも各地で奮戦し、大いに重用された氏郷は、天正十六年には正四位下左近衛少将へと任じられ、豊臣姓を下賜されました。天正十八年には、伊勢松阪十二万石から陸奥国会津四十二万石へと移封、検地加増により九十二万石の大領を与えられました。これは、豊臣政権下では前田利家、徳川家康に次ぐ石高であり、如何に氏郷が秀吉からも評価されていたかを物語っています。文禄の役で、肥前名護屋へと出陣した氏郷ですが、この陣中で体調を崩し会津へ帰国、病状が悪化した中で療養の為に上京、文禄四年に伏見において四十歳の若さで病死しました。氏郷の墓所は大徳寺の塔頭黄梅院(元々は昌林院にありましたが明治十一年に黄梅院と合併)にあるのですが、近年墓を発掘してみたところ、刀を抱いた姿で埋葬されていたことがわかりました。愛刀家としても歴史好きとしてもどんな刀を抱いているのか気になりますが、残念ながら詳細については発表されていないようです。

短刀の名手として吉光と並び称される

新藤五国光は、古来より短刀の名手として藤四郎吉光と並び称されるほど名高く、また正宗の師としても著名です。国光は、古説では粟田口国綱の老後の子或いは備前三郎国宗、鎌倉一文字助真の弟子と伝わっていますが、現在の通説では国光の作風が粟田口派と直結するものである為、国綱の子であるかはどうか別として国光は粟田口派出身の鍛冶であるとされています。
鎌倉鍛冶は、古説では粟田口国綱、一文字助真、備前三郎国宗などに始まると伝わっていますが、今日の研究では事実上の祖は新藤五国光とされています。その門下からは、行光、正宗、則重の三高弟を始め新藤五国広や大進房などが出ています。相州伝は、師風を受け継いで相州伝を大成した正宗から全国へと広まり、鎌倉末期から南北朝期にかけて一世を風靡し、その華やかな作風は後世にも大きな影響を与えました。

短刀の横綱

この短刀は、姿は平造、三つ棟、内反り、やや大振りで、重ね厚く、今なお健全な姿を保っている。鍛えは、板目に杢目交じり、地沸厚くつき、地景入る。刃文は、小沸出来の中直刃をむらなく焼き、金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える。帽子は小丸、先僅かに掃きかけて長く返る。茎は生ぶ、鑢目勝手下がり、先栗尻となり、太鏨で「国光」の二字銘を力強く切っている。本短刀は、その出来と健全さから新藤五国光の最高傑作であるだけに留まらず、全ての短刀の中でも横綱級の名短刀です。

会津新藤五の展示情報

会津新藤五の次回の展示は未定ですが、相州国光の作品は全国の刀剣展示会で不定期で展示されます。機会があれば是非ご覧になって下さい。
全国の刀剣展示会情報はこちら

短刀 銘:国光(会津新藤五)押形(出典:名物刀剣-宝物の日本刀)

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